第1回研究会
『アメリカ政治からみたウクライナ問題』
講師:渡瀬 裕哉氏
2022年3月8日(日)、逼迫するウクライナ情勢を踏まえ、『アメリカ政治からみたウクライナ問題』と題し、第1回研究会を実施しました。
講師には、東国原元宮崎県知事の政策を作ったことで一躍有名となり、アメリカ政治にお詳しい渡瀬裕哉氏にお越し頂き、講演を頂きました。
サマリー・感想以下
編集:近藤雅治
なぜロシアはウクライナに侵攻したのか
結論から言うと「アメリカの動向を見て、プーチンが侵攻可能と判断した」というものである。
国際政治は、やはり米が最も影響力を持っており、すべてのプレイヤーが米の動向を見ている。
米国政治が国際政治に強大な影響を与えるという、いわば”(米の)内政と外交の連関”を認識しなければ、どれだけウクライナのことを勉強しても、今起こっている悲劇の原因はわからない。
では、米の内政とは具体的に何なのか?
渡瀬さんは、マニフェスト・人事・派閥・世論・軍事などについて詳細に言及していた。
例えば、以下の要因である。
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一般教書演説において、外交への言及が少なかった→バイデン政権は内政重視
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気候変動対策に熱心(水圧破砕法はクリーンでない)→環境規制による電力・原油価格高騰のさらなる悪化を恐れ、エネルギー輸出大国であるロシアに強く出られない
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民主党支持層へのアピールのため多様性を重視→黒人であるオースティン氏を国防長官に →彼は元中央軍司令官(中東)で、欧州は専門ではない
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ブリンケン国務長官は2015年イラン核合意に関与→米とイランの関係改善→米とサウジアラビアの関係悪化 →ロシアはサウジアラビアとの石油調整が容易に
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民主党最大派閥(左派)議会進歩連盟が派兵に反対→民主党中道派で党内基盤の弱いバイデンは、左派の意向を無視できない
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アフガニスタン撤退の失敗から、米軍の派兵に世論が消極的
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対中重視政策→原子力空母が東アジアに集中し、その分、地中海が過疎化
※3月7日の米空母の位置
Fleet Tracker Archives - USNI News https://news.usni.org/category/fleet-tracker
このように、米の内政事情が国際政治、つまり、ロシアのウクライナ侵攻に影響を与えたと考えられる。
いわば、米は国際政治のゲームチェンジャーなのである。
また、渡瀬さんは日本人は米内部の意思決定に疎いと仰っていた。
同じような発言を大学の授業(早稲田大学社会科学部今村浩教授『選挙制度論』)で聞いたので、以下授業のレジュメを引用する。
日米戦争は、今日恰も必然不可避であったかのように思われている。しかし、私は実はそうは考えていない。日本が国家存続のために必要とした天然資源は、主として石油・ゴム・スズ・ボーキサイト等であった。これらは、米英中蘭からの経済封鎖にあって輸入が途絶えていたので、実力で確保しようとしたのがあの戦争であった。ところが、これらの天然資源を産出していたのは、石油はオランダ領インドネシア(カリマンタン島)、ゴム・スズ等はイギリス領マラヤ(現マレーシア)であった。当時のアメリカ領フィリピンには、日本の領土で産せぬものなどほとんどなかったのである。なのに、何故フィリピンやハワイを攻撃したのだろうか。純粋に軍事的観点からは、ハワイとフィリピンにあった米海空軍は、大きな脅威ではあったろう。もし、アメリカの側から宣戦布告されるならである。しかし、日本が、いわば無防備にわき腹をさらす覚悟で、オランダとイギリスにのみ宣戦布告して攻撃していたらどうだったか?当時、米蘭とアメリカの間には、相互防衛条約などなかった。さればこそ、第二次大戦がはじまって2年以上もたつのに、アメリカは中立を維持していたのだ。アメリカの世論が参戦を許さなかったからだ。当時のオランダ政府は、本国をドイツに占領され、植民地だけを実効支配する亡命政府であった。オランダ本国が侵略され、イギリスが空襲にさらされても救援に動かなかったアメリカが、まして英蘭の植民地の防衛のために参戦しただろうか。しかも、開戦権限は、合衆国憲法上、明確に議会にある。1941年当時、戦争を忌避する世論を背景にした議会が、易々と武力行動を容認したとは思えない。
もう一度言う。「特別の関係」にあるといわれるイギリスが、孤立無援で独伊と戦っているのを2年も放置して、ドイツに宣戦などしなかったのである。いまさら、その植民地を守ってあげるねと言って、日本に宣戦しただろうか。ところが、なんとこっちから先に手を出してしまったのだ。真珠湾とフィリピンのクラークフィールド空襲は、確かに大戦果をもたらしたし、純軍事的もしくは戦術面での革新的偉業ではあった。しかし、激昂した世論を背景に、連邦議会は、たった一票の反対で対日開戦を決議した。結果として、ルーズベルトに議会と世論を説得する手間を省いてやり、アメリカ国民を結束させてしまったのだから、歴史に残る大愚策であったとしか言いようがない。
確かに、当時のアメリカの世論は、日中戦争については、中国、正確には蒋介石率いる中華民国に同情的であった。しかし、武力紛争中の一方に同情的であるということと、その一方の側に与して参戦することとは、およそ別次元の話なのだ。今日、西欧諸国は、ロシアに侵略されているウクライナに同情的である。だからと言って、ウクライナを助けてロシアと軍事衝突に踏み切った国がひとつでもあるだろうか。
今日の日本人は、日米戦争を称賛なき愚かな戦争であったと、したり顔にそしるばかりである。しかし、当時の日本政府の要路に、彼我の国力を計算して勝算を持っていたものなどほとんどいなかった。ではあっても、このまま経済封鎖が続けば、確実に日本は干上がる。ならば、万に一つの僥倖を頼んで、開戦に踏み切ったとするのが、より正確であると思う。そう考えれば、当時の要路にあった人々の責任は、彼我の国力の差を知らなかったことではない。それは、わかってはいたのだ。しかし、彼の国の政治のメカニズムには、まったく無知であった。
例えば、開戦の時期の選択も、アメリカの政治カレンダーが考慮された形跡は一切ない。もう半年でも待って、英蘭にのみ宣戦布告して、石油等の資源を確保する。そして、その行動に対する軍事行動の是非が、1942年のアメリカ中間選挙の争点として浮上するようにすればどうだっただろうか。所詮は、後知恵の繰り言かもしれない。しかし、アメリカの経済力、国力は認識していても、政治に無知であったとは、昭和16年の日本も、令和4年の日本も大して選ぶ所がないのではないか。こんなことを考えたりもする。
同じ歴史を繰り返さぬためにも、我々日本人は、米国政治をより深く学ばなければならない。
最後になるが、講演を聞いて、渡瀬さんは非常にリアリストである印象を受けた。
質疑応答時、私は「中国が台湾に進攻した場合、米は派兵するのか、それともそもそも中国は台湾に侵攻しないのか?」と尋ねた。
すると、「理性的に判断すれば、経済制裁を受けて経済にマイナスの影響を受けるから、中国が台湾に侵攻することはない。しかし、仮に侵攻するとして、どうやって侵攻すると思いますか?」と聞き返され、すぐにわからなかった。
渡瀬さんは、「政治的に揺さぶって台湾を中国に組み込む場合、いきなり台湾本土に侵攻するのではなく、スプラトリー諸島のようなほとんど人がいない島をとりにいく。人がほとんど死んでいない状況で、米が介入するとは考えにくいから、中国は『米は台湾を見捨てた』とネガティブキャンペーンをはることも可能。中国は、米の世論を見ながら、行動するだろう。要するに、具体的な侵攻シミュレーションは、もっと具体的に考えなければならない。」と仰った。
我々が事前課題で取り組み発表した、国連安保理の改革案やクアッドなどでインドを自由主義陣営に引き寄せる構想についても、どうやってそれを実現するのかに拘っていた。(第1回研究会 プレゼン.PDF)
ロビー活動や人脈作りによる、現場の活動を通じて、実際に政策を遂行できるか否かを重視している印象を受けた。
渡瀬さんが仰った、「具体的なものをより具体的に」の言葉は、ご自身の考えの基盤であるとともに、これから日本を担う我々若者への課題でもある。